富士の風に吹かれて~契山館 静岡分会

霊的な真実を探る旅に出かけよう!

富士登山<観光資源≦産業資源

契山館静岡分会のmr.poraiです。

今回もmr.porai節にお付き合い下さい。

皆様は「富士山登山ルート3776」というものをご存じでしょうか?

実はmr.poraiも、つい最近まで知りませんでした。

これは、富士南麓所在の、市域に海岸を持つ市が設定した登山ルートで、海抜0メートルから富士山頂(標高3776メートル)を徒歩で目指す、全長約42kmの新たな登山ルートだそうです。

全行程徒歩の場合、3泊4日が推奨日程とのことで、このルートのウリは、

「あらゆる視点からの富士山眺望」

「多くの先人達が歩いたとされる海からの富士登山の歴史」

「富士山や駿河湾といった恵まれた自然により形成された観光資源や産業資源等」

というらしく、

「このルートでしか楽しむことのできないオンリーワンの魅力が満載です」と紹介されておりました。

徒歩で行くだけあって、ずいぶんと日程はかかり、まちなか区間~まちなか近郊郊外区間~林道区間~広域林道~富士宮口6合目までで、3日間かかるそうです。

富士宮口6合目~富士山頂までは、一般的な登山者と同様「登山道富士宮ルート」を通り、しめて3泊4日の行程と紹介されていました。

そこでmr.poraiに疑問が生じました。

mr.poraiこころの声『この行程で「富士山頂上」に到達できるのは判った。でも「山に登ったら下りる」必要があるんだけど、その点どうなのかなぁ?』

そこでmr.poraiは、富士登山経験者に訊ねてみました。すると

富士登山経験者『山頂から富士宮口5合目までの下山は、徒歩で3時間もあれば可能で、その後バスで最寄りの新幹線駅に行けばOK。だからことさら下山について触れていないと思う。』

とのことでした。

mr.porai『日本一高い山ですけど、下山が比較的容易なのですね。でも、富士山は霊山と言われていますから、何かこう「おごそか」とか「神秘的」とか、そのような雰囲気はありましたか?』

富士登山経験者『私が登山したとき、幸い天気が良かったので、山頂で「ご来光」(日の出のこと)を見た時は感動した。これぞ富士登山の醍醐味という思いがした。』

mr.porai『富士山頂の日の出の美しさはTVで見たことがあります。折角霊山に登られたのですから、何かこう、たとえば山頂の神社で神様を拝んだとか、なさいましたか?』

富士登山経験者『神社?‥そう言えば山小屋では登山杖に焼き印してもらったけど、頂上の山小屋に焼き印はなく、「杖の印は神社で」って言われたなぁ。』

mr.porai『神社で焼き印をして貰ったのですね。』

富士登山経験者『いや、神社では焼き印じゃなくて、杖に刻印をして貰った。刻印の際、大きな音がしてビックリしたけど、この刻印をゲットして、富士登山の達成感があったなぁ。』

mr.porai『‥‥』

・・・・・・・・・・

その後mr.poraiは、何名かの富士登山経験者に話を聞いてみました。

悪天候で登山を断念した方、山頂にはたどり着いたもののご来光は雲に隠れて見ることができなかった方、高山病で苦しんだ方等々、富士登山あるある四方山話を聞くことができました。

ですが、残念なことに、富士山を霊山とあがめ拝するというような、信仰に関わるお話しは、一向に聞くことができませんでした。

せいぜい「富士山頂にも神社があって、御守りを買った。」とか、今はやりの「御朱印を書いてもらった。」程度の話に留まりました。

そう言えば、冒頭で紹介した「富士山登山ルート3776」でも、「多くの先人達が歩いたとされる海からの富士登山の歴史」をウリの一つにしていましたが、所詮は富士登山ですら‥。

「富士山や駿河湾といった恵まれた自然により形成された観光資源や産業資源等」のカテゴリーに、からめ取られてしまう消息が、話を聞けば聞くほどハッキリしただけでした。

このブログの読者の大方はご存じとは思いますが、やはり富士山は特別な霊山なのです。

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この御著の第二章「日本古来の修行法」所収の「二、富士」「三、富士の神」を御覧下さい。

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ところで、mr.poraiは、拙稿で「登頂」という言葉を使用しておりません。

「頂に登った」訳ですから、その視線は下にしか向かないと思われるからです。

ご来光ですら「水平」の高さでしかありません。

「あらゆる視点からの富士山眺望」というウリと、「登頂」という言葉から、「上空におられる神」に対する畏敬を感じることはできないmr.poraiなのでした。

夜明けの富士

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お化け

夏と言えば、何故かお化けというイメージが有ります。

怖い思いをして、納涼といった意味合いが有るのでしょうか?

ひと昔前は、お祭りやイベントで、お化け屋敷も出店して賑わったものですが、最近では、あまり見なく成りました。

せいぜい遊園地で、子供は入場禁止に成る程、極端に怖いものや、ハイテクを駆使したヴァーチャルなものが主流に成って来たように思います。

昔の素朴なお化け屋敷が懐かしく感じます。

さてお化けとは、通常では関わりを持ち得ない、幽霊、妖怪、精霊といった存在を指すのでしょう。

そして、この世の人間とは、かけ離れた雰囲気や姿をしている為、人は怖がり、驚くのだと言えます。

しかし、それは、お化け屋敷であれば、その場限りで「怖かった」で済みますが、世の中には、本当に見たとか、襲われたと言う人が時々居ます。

勿論、中には、錯覚であったり、思い込みであったりもします。

しかし霊的な見地から言えば、そうでは無いケースも有ると言えます。

例えば、良く聞く、金縛りですが、多くは肉体疲労などから起きると言えるでしょう。

しかし、中には、肉体と幽体の間を流れる間気(エクトプラズマ)が、目、鼻、口などから漏れ易い人が居るので、霊魂がそうした人の間気を引き抜いて、縛り付けている事が有ります。

間気は、半幽質、半物質で、引き抜かれ外気に触れる事で、より物質に近い質量と成ります。

それにより、人の肉体や物質に作用する事が可能に成ります。

また最近は、お化け屋敷が少なく成った分、心霊スポットに行く人は増えているようです。

そうした所へ、間気が漏れ易い人が行くと、所謂、幽霊を本当に見る事が有ります。

どういう事かと言いますと、心霊スポットとして人が集まる所には、低い霊魂も集まって来ます。

そして間気が漏れ易い人が居ないか霊魂は物色します。もしそうした人が居れば、早速、間気を引き抜こうと試みます。

上手く成功すれば、それを粘土のように、こね回して、人の顔や身体の形を作り出します。

しかし目や鼻が無かったり、足が無かったりと、やはり粘土では無いので、なかなか上手くは作れません。それが幸いして、化け物のような恐ろしい姿が出来上がります。

そして、間気を引き抜かれた当人は、自分の間気を感知し易いので、霊魂が作り出した化け物のような姿を見て、腰を抜かす事に成ります。

故に、間気の半物質化により、霊能力者のような幽視能力が無くとも、霊的な現象を体験する事が有り得ると言えます。

しかしながら、霊的な現象は体験しないのが、肉体を持つ人間としての自然な姿と言えます。

もし霊的な現象が頻繁に起きる人は、低い霊魂の干渉を受けている疑いが有ります。それを防ぐには、間気の流出を抑え、幽体の不調を改善する必要が有ります。

それには、私達の場合、霊術や祓いを行います。
 
また一番大切なのは、霊術や祓いを受けなくても済むように、日頃から自分自身で霊的トレーニングを行い、幽体を鍛える事が肝要だと言えます。

こうした記事を読んで心配する人は幸いです。

半信半疑でも、霊的な世界や霊魂を認めているからと言えます。また幽体を鍛える可能性が有るからです。

最も、救いから遠いのは、どんなに霊的現象が起きても、全てが疲れや気のせいと片付けたり、どんなに自分自身や家族に不運が重なっても、ただの偶然として納得する、無神論、無信仰の人達と言えるでしょう。

「ちょっと、おかしいんじゃないか?」と思い、対策を探り、考える方は、とても賢明と言えると思います。

病気で言えば、様々な症状が出ているのに、気にしないで放っておけば、重症化したり、場合によっては、手遅れに成る事も有ります。

個人単位でも、そうですが、最近の世の中の状況は、天災や異常な犯罪が増えてきて、そこで何故、そうした事が起きるのか、疑問を持ち、真剣に深く考え、霊的な対策を行わんと、一歩を踏み出す人が増えれば、きっと日本は変わっていく事が出来ると思います。

霊的な対策は、幽体を鍛える事から始まります。

※ 幽体を鍛える方法について、お知りに成りたい方は、以下の書籍をご覧ください。

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2拝2拍手1拝≦無形民俗文化財

契山館静岡分会のmr.poraiです。

今回もmr.porai節にお付き合い下さい。

さて今、伝統文化芸術に脚光が当たっているようで、全国紙の地方欄やローカル紙に、地域地域に伝承されているという『神楽(かぐら)』が、よく取り上げられています。

国、都道府県、市町村の行政は、文化的に価値があるとされる神楽を、文化財保存の目的で、無形民俗文化財に指定する制度があるそうです。

行政は機会を捉え、それら神楽を一堂に会させ、公演を催しているようです。

文化芸術にあまり関心がないmr.poraiではありますが、古る昔、無形民俗文化財に指定されている『神楽(かぐら)』○○フェスタを観覧したことがあります。

mr.poraiが当時勤務していた団体では、職員研修の一環として、文化芸術に触れることを推奨しておりましたので、仕方なく観客席に座らされておりました。

神楽とは、元来、『神を祭る神事において、神前にて供された舞楽』であることは、疑いないと思えます。

神事の一環ですから、歌舞の所作ひとつひとつに意味があるのでしょうし、あるいは『神懸かり』した様子が、舞楽に表現されているのかも知れません。

神事に参加し舞楽に見入る人々も、神への畏敬や尊崇を高めていったのでしょう。

場所は、マグロの水揚げが多く、お茶の香りが名物とされる街の、とある会館の大ホール。

mr.poraiの物憂げな視線の先には、何の変哲もない、単なるステージがありました。

舞楽は次第通りに進み、いよいよ終わりかと観ていると、演舞者一同が観客席に向かい、2拝2拍手1拝をしました。

これを観たmr.porai、「神ならぬ人の身で拝礼された」ため、ビックリして思わず背筋が伸びました。

そして観客席を見回しましたが、真剣に神楽を見終わった感のある人はいましたが、拝礼されてビックリという人は、いなかったようです。

どうやらこの神楽は、最後に2拝2拍手1拝して舞い収める作法だったようです。

ここでmr.poraiの肉の身に、大量のアドレナリンが放出されたみたいで、一気に覚醒し、そして「ある怒り」を覚えました。

『とある大御所歌手は「お客様は神様です。」とか言うとったけど、金儲けの演舞でもあるまいに、所作の一環で省略できへんにしても、観客席に向かって2拝2拍手1拝はあらへんやろ!』

『「お客様は神様とちゃう!」。観客に背を向け、上空におられる神を想定して、2拝2拍手1拝せんだら、観客ともども神の御加護を願ったことにならへんやろ。』

ところが、mr.poraiの怒りとは無関係に、演舞者一同も所作の一環で行ったに過ぎず、観客も2拝2拍手1拝につき、特別な感慨は抱いていないのも明白でした。

mr.poraiこころの声‥霊的な意味があったであろう作法も、無形民俗文化財保護の傘下に入れば、哀しいかな2拝2拍手1拝ですら一連の所作として処理されてしまう‥

元来、2拝2拍手1拝とは神を拝む作法であり、神社等で行う「おはらい」にも、この作法は付き物ですが、伝統的神拝作法について詳しいのは以下の御著です。

『霊魂に聞くII』 - 宗教について高級霊魂は何を語るのか


この御著の第二章「神道」を御覧になれば、あだやおろそかに「2拝2拍手1拝」をすべきでないことは明白であります。

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諸行無常

自宅の部屋に有るドアノブが回らなく成ってしまいました。

ドアノブを外して、確認したところ、どうやらラッチと言われる部品の故障だという事が分かりました。

約10年、住んでいるので、いろいろと壊れるものも出てきます。

自分で直せるレベルなので、取り敢えず、ラッチを外しておいて、改めて、ホームセンターへ部品を買いに行こうと思います。

さて仏教では、諸行無常という言葉が有ります。

世の中、全てのものは、常に変化して不変のものは無いという意味が有るようです。

確かに、どんなに硬いダイヤモンドでも傷が付かない訳では無いし、壊せない訳でも有りません。

無限と思われる、この宇宙も、悠久の未来には消滅するのかも知れません。

また少なくとも、今の科学では、永遠の命も有り得ません。

つまりは、物質ばかりに執着し、それのみを追い求めても、それは、いつかは行き詰まり、虚しいものと成ってしまうでしょう。

また人間は、物質的欲望を満たすだけでは、満足できないように成っているように思います。

何処かで、心の中を空虚感が通り過ぎていく...。

やはり、それは人の本質が物質では無いからと言えるでしょう。

水波霊魂学では、人は、本来、霊的生命体と説きます。

死んだら終わりの単なる肉の塊では無いのです。

確かに、肉体は死ねば、朽ちて土に還るだけと言えます。

大自然の循環を廻るだけの実体の無い存在です。

しかし人は肉体とダブった幽体を持っているのでした。

そして肉体から離れた幽体は、あの世での生活を始めるのです。

とは言え、肉体と幽体は全く別の存在かと言うと、そうでも有りません。

この世の人生にも大きな影響を与えています。

肉体と幽体が不離一体で人生を歩んでいるからと言えます。

幽体が健康か不健康かで、肉体が病気に成る事も有りますし、霊的には、低い霊魂に寄られたり、低い幽気が付着、または吸い込んだりで、この世の人生が悪い循環に入る事も有ります。

悪い事ばかりが、続くという人が居ます。

そうした方は、霊能者を訪ねるよりも、やはり自身の幽体を鍛える事が根本的な解決に至る事に気づいて頂きたいと思います。

また幽体を鍛えるという事は、高級な霊魂よりの高い幽気を、自身の幽体に受ける事に成ります。

自身の幽体は、日常の生活では決して受けた事の無い、高い力に感激し、感涙します。

人の正体は幽体に有り、幽体の真の幸せは高級な霊魂より、高い力を受ける事にこそ有ったと言えます。

それは人の深い部分からの喜びであり、物欲を満たす事のみの上辺だけの幸せとは異なります。

人の心は物質だけでは満たされないのです。

しかし高級な霊魂よりの力は、求めない所には決して降りて来ません。

神を認めず、霊魂を否定する所に、救いの光がもたらされる事は無いのです。

「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」

物質には実体が有りません。物質ばかり追い求めても、常に流れ消え行き虚しいばかりと言えるでしょう。

背後に有る、自身の正体に気づいた時、初めて、この世でもあの世でも、真の幸せに繋がっていくと言えるでしょう。

仏教2
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ある修行者の独り言(生命の起源)

生命の誕生1
                           *アダムの創造(ミケランジェロ)

人は死んで生命が尽きれば絶対的に終わりであり、「無」になると考える方は、私の周りにもたくさんいらっしゃいます。

では、生命の始まりはどうだったでしょうか?
生命が死ねば無に帰すというのであれば、生命の誕生も「無」から始まったのでしょうか?

個体の死と細胞の死は区別されますので、個々の人間が死亡しても、子供がいる場合には、受精によって生命は受け継がれていると言えます。
そして、このような生命の連続という点から考察すると、気の遠くなるような時間を遡り、究極的には「生命の起源」という段階に到達します(現代の生物学では、地球上の生物は全て同一の先祖から発展してきたと言われているようです。)。

しかし、現代の科学をもってしても、生命の起源については未だ解明されていないようです。

生命とは、単に物質が存在するという状態ではなく、生きているという過程をも含んでいますので、鉱物等とは絶対的な違いがあります。
それ故、最初は火の玉だった地球から、どうして生命を誕生するに至ったのか、考えれば考えるほど不思議です。

生命の誕生2

将来的には、科学が生命の起源を解明するかもしれません。
しかし、幾つかの原因物質の科学反応によって細胞が生まれた等の説明にとどまるならば、それは生命誕生プロセスの現象的な説明にすぎず、生も死もない物質から、生や死のある生命が誕生した事の根本的な解明に至るものではないと思われます。

そして、ここが科学の限界ではないかと思われます。
単なる物質と生命とでは連続性はなく、断絶されている以上、物理法則では越えられない壁があると思われるからです。

 生命の誕生3生命の誕生4

私は、生命を有する細胞が誕生した背景には、霊的な生命体の存在があったのではないかと考えています。

つまり、幽的なエネルギーを持つ存在が、物質としての細胞に宿ることによって、地上においても生命として生きることになったという考えです。

また、生物の進化につれて、宿る霊的生命体も高度なものになっていき、最終的に、人間には人間の霊的生命体が宿ったのではないかと想像します。

そして、このように霊的生命体の存在を前提にするとき、その居場所である霊的世界も存在することになりますので、死は決して「無」ではなく、霊的生命体としての本来の居場所である霊的世界に帰って行く事になるはずです。

科学は、このような考えを認めないと思われますが、霊的世界は、もともと科学で実証できる分野ではないのですから、科学が霊的世界は無いと言い切るのも、おかしな話です。

霊的世界の実在を確信する私としては、霊的世界の実在を多くの人に知ってもらいたいと願っています。

by ドーン


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