富士の風に吹かれて~契山館 静岡分会

霊的な真実を探る旅に出かけよう!

宗教

感謝の念≠神事

契山館静岡分会のmr.poraiです。

今回もmr.porai節にお付き合い下さい。

さて、世の中には、生活上何か困った事があると、占い師やら霊能力者に観てもらう方が一定数いるようです。

その「観てもらった方の話」を聞いた人から、ある内容を聞かされ、mr.poraiは「!!」となりました。

まぁ、又聞きですので、正確なところは判りません。

ですが、あまりにも「??」でしたので、得意のぼやき節を始めたいと思います。

・・・・・・・・・・

「観てもらった方」は、「占い師or霊能力者」に困り事を打ち明けたところ、「金神(こんじん)様?の障り」が原因だということで、ある改善策を教示されたそうです。

その改善策とは「障りを鎮めるため、地元の神社の神主さんを自宅に呼んで、お祓いしてもらう。」というものでした。

そこで「観てもらった方」は、地元でも有名な神社に電話し、自宅でのお祓いを依頼しました。

有名神社では「神主が現地に出向くお祓いの際、神主の送迎をして欲しい。祭壇等の荷物があるので、トランク等を空けておいてください。」と言われたそうです。

お祓いの日、「観てもらった方」は自分の車で神主さんを迎えに行き、行きの道すがら、お祓いを依頼した趣旨を神主さんに訴えたそうです。

神主さんは、一通り話を聞いてくれたそうです。

「観てもらった方」は、今回のお祓いで、どのような「お祈り」をして頂けるのか?期待を持って神主さんの言葉を待っていたそうです。

しかし神主さんの言葉は「観てもらった方」の期待を大きく裏切るものでした。

神主「私は霊能力や祟る神を信じない。ですが今、生かされている事への感謝の念を表すことは大切です。神主が行う祭典や作法は感謝の念を表すための神事です!」

と、「どや顔」で言われたそうです。

自宅での神事は「真面目に作法してくださった」そうですが、「観てもらった方」には、何か言い知れぬ「不完全燃焼感」が残ったそうです。

・・・・・・・・・・

これを聞いたmr.poraiは、すっかりあきれてしまいました。

仏教者の中には霊魂を認めないという考えの宗旨宗派があるそうです。

しかし、神主とは、「神を祭っている神社」で祈りを捧げるのが主たる職務でありましょう。

従たる仕事として、神社施設の維持管理運営を行うのが筋でしょう。

「生かされている事への感謝の念を表すことは大切」といわれれば、世間的には「その通り」ですが、祟る神とはいえ、何か人智を超えた存在に、思いは至らないのでしょうか?

まさか、「神の御存在自体を信じることなく」、神社なる施設の維持管理運営をしているのでしょうか?

mr.poraiの「??」は深まるばかりなのでした。

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第二章「霊的な祓い」を御覧下さい。

「必ずしも霊魂の実在を信じてはいらっしゃらない神主」「霊的な穢れすら、本心では信じていない神主さんもいらっしゃるに違いない。」という記述があります。

mr.poraiが又聞きした内容が事実であれば、「観てもらった方」が「占い師or霊能力者」から受けた指示‥、

「障りを鎮めるため、地元の神社の神主さんを自宅に呼んで、お祓いしてもらう。」こと自体、大間違いというものです。

そう言えば、TVで放映された、心霊番組に出てくる「霊能者?」の方も、祟りや障りがあった場合「神社仏閣でのお祓いやら供養」を勧めていました。

TV番組では、供養やお祓いの効き目があって霊障が終息したようなエンディングになっていましたが、本当にそうなのでしょうか?

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いわゆる邪霊に干渉された方の実態が書かれています。

占い師or霊能力者の指示を受けて行う「神社仏閣でのお祓いやら供養」でハッピーエンドを迎えられるような、生やさしい世界ではないのです。

幽気や間気に対する知識があり、霊的トレーニングを行い、一定の作法の教示を受けた者以外、霊的な祓いは不可能なのでした。

人間は、肉体を持った霊的存在なのです。

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霊的存在としての人間の、本来執るべき出処進退を学び、実践されることをmr.porai、心からお願いする次第であります。

tree2

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伝統≠祭祀跡

契山館静岡分会のmr.poraiです。

今回もmr.porai節にお付き合い下さい。

皆様は「埋蔵文化財」に関心はおありでしょうか?

文字通り、土中に埋もれている文化財で、石器や土器などの遺物や、貝塚、古墳、住居跡、祭祀跡などを指すようです。

たとえば、文化財保護法で指定された「周知の埋蔵文化財包蔵地」に、ショッピングモールの開発を行うとします。

「周知の~」というくらいですから、何らかの文化財が埋もれている訳でしょう。

行政の窓口は、市町村教育委員会。役所の手続ですから、まずは書類審査になります。

そこで問題となるのが「土木工事の基礎の深さ」と「文化財の埋蔵されている深さ」です。

その結果、自治体が「建物の基礎が地下にある文化財を破壊する可能性がある」と判断した場合、「試掘調査」となるようです。

個人住宅ですと、自治体が試掘調査費用を持ってくれる場合があるようです。

ですが、営利事業による開発行為では、事業者の負担となるようです。ショッピングモールも然りです。

試掘調査の結果、埋蔵文化財が出てこなければ、めでたく工事着工の運びとなりますが‥、

そうでない場合、発掘調査(本調査)が要請され、費用は事業者持ち。

どこやらの街でショッピングモール建設の計画があったそうですが、ウン十億円にも上る発掘費用がネックとなり、出店が見送られたようです。

・・・・・・・・・・

今の神社では、神様が住んでいるとされる建物が建っています。本殿と言うそうです。

ところが有史(記録)以前の神社には、このような建物はなかったそうで、山や大きな岩などに、神が宿るとされてきたみたいです。

古代の祭祀や社殿成立以前の、神社の原初形態などの研究するため、考古学的手法でアプローチする「神道考古学」なる学問があるそうです。

mr.poraiは、神道考古学の学者とかいう方の言葉を、又聞きしたことがあります。まぁ、又聞きですので、正確なところは判りません。

ですが「!!」だったので、思い出しながら書いております。

学者「仮に神社の本殿や拝殿の下を発掘しても、何も出ないことが多い。掘るのなら神社の裏山が良い。祭祀跡が出てくるケースがある。」

学者「時代が降り、拝礼の場所だったところに拝殿が建ち、拝殿にほど近いところに神を祀る本殿を建てた。」

学者「古い時代、「拝礼の場所」と「神が宿るとされた場所」は、今の神社建築と違って、もっと離れていた。」

なるほど! かなり説得力のある見解です。何回も発掘調査をした結果、そのような見解を持つに至ったのでしょうが‥、

古代祭祀跡を調査しても、当時の祭祀の作法については、なかなか判らないようです。

そうなのです。古代祭祀を行っていた先人の信仰は、「すでに消滅した」のです。

よく神社は「歴史」とか「伝統」の護持を標榜しています。

口の悪いmr.poraiに言わせれば「場所的同一性はあっても、古代祭祀を継承していないようだから、歴史と伝統を標榜すること自体、どうなんさー?」

「古代祭祀跡の発掘によって歴史の長さが証明された」と胸を張るのは、いささか早計のような気がします。

その業界人は、たまにイベント的に「禊」を行うようです。彼らが神典とする古事記に「禊」の記載があります。

恒常的に禊を行っている業界人は少ないようですが、大きな神事?の前には「潔斎・けっさい」とか言って、心身を清めるそうです。

潔斎の具体例として、居室を別にし、衣服を改め、水行をして、飲食(飲酒・肉食等)や動作(会葬・病気見舞い等)、不浄な思いや言葉などを慎しむことが挙げられます。

神に向かうに、心身を慎むというのは判ります。しかし、それはどう考えても「表面意識」の安定に留まるのではないでしょうか?

《神伝禊法-新時代の霊的トレーニング》

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この御著の表紙に「禊は水浴びではない」と書かれています。よって単なる「水行」でないことは確かです。

神職の方は、一般人と比べて「禊」を身近に感じるかも知れません。

ですが、歴史と伝統を誇る、神職従事者の肉体の意識は「神職たるアイデンティティーに揺らぎはない」でしょうから、神伝禊法を実修することはないのでしょう。

しかし神職の幽体は、ことによると、肉体の意識とは違う思いを発しているやもしれません。たとえば‥、

神職幽体の叫び「幽体に霊的な力を与えて欲しい! せっかく禊との親和性が高い宗教に携わっているのだから気付いて欲しい!!」。てな具合に。

不満をくすぶらせながら潜行するしかない神職の幽体の意識に、他人事ながら同情するmr.poraiなのでした。

清流

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諸行無常

自宅の部屋に有るドアノブが回らなく成ってしまいました。

ドアノブを外して、確認したところ、どうやらラッチと言われる部品の故障だという事が分かりました。

約10年、住んでいるので、いろいろと壊れるものも出てきます。

自分で直せるレベルなので、取り敢えず、ラッチを外しておいて、改めて、ホームセンターへ部品を買いに行こうと思います。

さて仏教では、諸行無常という言葉が有ります。

世の中、全てのものは、常に変化して不変のものは無いという意味が有るようです。

確かに、どんなに硬いダイヤモンドでも傷が付かない訳では無いし、壊せない訳でも有りません。

無限と思われる、この宇宙も、悠久の未来には消滅するのかも知れません。

また少なくとも、今の科学では、永遠の命も有り得ません。

つまりは、物質ばかりに執着し、それのみを追い求めても、それは、いつかは行き詰まり、虚しいものと成ってしまうでしょう。

また人間は、物質的欲望を満たすだけでは、満足できないように成っているように思います。

何処かで、心の中を空虚感が通り過ぎていく...。

やはり、それは人の本質が物質では無いからと言えるでしょう。

水波霊魂学では、人は、本来、霊的生命体と説きます。

死んだら終わりの単なる肉の塊では無いのです。

確かに、肉体は死ねば、朽ちて土に還るだけと言えます。

大自然の循環を廻るだけの実体の無い存在です。

しかし人は肉体とダブった幽体を持っているのでした。

そして肉体から離れた幽体は、あの世での生活を始めるのです。

とは言え、肉体と幽体は全く別の存在かと言うと、そうでも有りません。

この世の人生にも大きな影響を与えています。

肉体と幽体が不離一体で人生を歩んでいるからと言えます。

幽体が健康か不健康かで、肉体が病気に成る事も有りますし、霊的には、低い霊魂に寄られたり、低い幽気が付着、または吸い込んだりで、この世の人生が悪い循環に入る事も有ります。

悪い事ばかりが、続くという人が居ます。

そうした方は、霊能者を訪ねるよりも、やはり自身の幽体を鍛える事が根本的な解決に至る事に気づいて頂きたいと思います。

また幽体を鍛えるという事は、高級な霊魂よりの高い幽気を、自身の幽体に受ける事に成ります。

自身の幽体は、日常の生活では決して受けた事の無い、高い力に感激し、感涙します。

人の正体は幽体に有り、幽体の真の幸せは高級な霊魂より、高い力を受ける事にこそ有ったと言えます。

それは人の深い部分からの喜びであり、物欲を満たす事のみの上辺だけの幸せとは異なります。

人の心は物質だけでは満たされないのです。

しかし高級な霊魂よりの力は、求めない所には決して降りて来ません。

神を認めず、霊魂を否定する所に、救いの光がもたらされる事は無いのです。

「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」

物質には実体が有りません。物質ばかり追い求めても、常に流れ消え行き虚しいばかりと言えるでしょう。

背後に有る、自身の正体に気づいた時、初めて、この世でもあの世でも、真の幸せに繋がっていくと言えるでしょう。

太郎

仏教2

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イベント夏祭りイン富士南麓!

契山館静岡分会のmr.poraiです。

水波霊魂学を信奉し霊的トレーニングを行っている者です。

いまだ未熟な修行者の、個人的な解釈・見解により記していますので、独善や間違いがある場合があります。

その場合の責任はmr.poraiにあります。

7月中下旬、富士山南麓のこの街の、中心市街地では、あちらこちらで夏祭りが行われております。

この街の生まれ育ちであれば、子供の頃から夏祭りに参画しなければならないのでしょうが、mr.poraiはこの街の生まれではありません。

では、mr.poraiの子供らは「夏祭り」に参加したかというと‥、実は参加していません。

mr.poraiの自宅は街の郊外の住宅地にあり、昔で言えば近郊郡部といったところですので、中心市街地地区と「祭の時期」は異なります。

ですので、夏祭りを見かけた際、第三者的な視点でウォッチできるというものです。

街のそれぞれの地区には公会堂があります。

そこに祭壇を設け御神酒などを飾り「夏の疫病除けの神」とされる「素戔嗚尊(スサノヲノミコト)」を祀っているようです。

公会堂は行政の持ち物ではなく、それぞれの地区が所有する集会場なので、宗教的礼拝設備を設けても、問題はないそうです。

地区によっては、神社の広間?拝殿?が、集会場を兼ねているところもあります。

おそらく形だけだとは思えますが、神を祀っているだけマシと言えましょう。

さてこの街では、中心市街地各町内が参画する祭りの時期に合わせ、行政の観光課が事務局となり、○○まつり実行委員会を組織し、さまざまなイベントが行われます。

イベントではミスコン・太鼓・みこし・木遣り道中などが行われますが、このようなイベントは、本来「付祭り・つけまつり」として行われてきたようです。

付祭りとは「神を祭る本祭に付けて行う祭り」という意味合いです。

つまり、本祭の余興として山車(だし)につく、踊り屋台や練り物・地走りなどを指すということです。

さらに今年は、なぜか、東京湾岸所在のテーマパークからゲストを招き「スペシャルパレード」とかいう余興をも行うようです。

余興という位置づけであったイベントが「祭り」そのものになり、そのイベントを「祭り」と信じて疑わない人々に、神の御加護はあるのでしょうか?

口の悪いmr.poraiは、神祭りなき余興祭りにつき、『イベント夏祭りイン富士南麓!』と名付けました。

行政が参画する「まつり」に宗教を持ち出せないのは、現今日本の、法と規則では困難だということは、判ります。

しかし、本来の祭りとは、神を思う人々が、神を意識して行うものであったことは確かです。

……

さて「神人和楽」という言葉があります。

読んで字の如く「神と人とがともに和して楽しむ」という意です。

良い言葉です。ですがこの言葉に対し、奇妙な拡大解釈がなされているとか、風の便りに聞きました。

拡大解釈人『神は人の喜ぶ姿を見てお喜びになるのだから、人が喜べば、自然に神も喜ぶ。』

そうであれば良いのですが…、本当にそうなのでしょうか?

神祭りなき余興祭りに浮かれ喜ぶ大勢の人々に、霊的な危険がなければ良いのですが‥。

『人類は消滅すべきか』〜人類を救うために平凡な霊魂が立ち上がる〜


この御著には、現今の霊的状況が書かれております。

「第6章 人類を救うために 1 悪戯霊魂の怒り」では、コンサート開催時に悪戯の仕掛けを持ちかける霊魂の件、そして、田舎?の神社の、霊的状況に関する記述もあります。

『イベント夏祭りイン富士南麓!』にて浮かれはしゃぐ人々の霊的状況は、コンサートで熱狂する人々と大差ないと思えてなりません。

本当の「神人和楽」の世界について、御著『神体』に記述があります。

『神体』〜偉大なる魂の生涯〜

(ペーパバッグ版)

 (電子書籍版)

御著『神体』の第1章のなかで「太陽の国」として紹介されております。

夏2

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ある修行者の独り言(苦行する釈迦)

苦行する釈迦1
パキスタンのラホール美術館に、有名な「苦行する釈迦像」という仏像があります。上記は私が模倣した下手な絵ですので、興味のある方はインターネットで検索してみてください。 本物は、ガンダーラ美術の最高傑作と言われるだけあって、人を圧倒する迫力があります。

私が初めて「苦行する釈迦像」の写真に出会ったのは、今から17年くらい前、まだ契山館に入会する前でした。一目見るなり、魂が震えるような感動を覚えました。

釈迦が厳しい苦行を行ったことは伝承されているところですが、それが仏像という形で視覚的に表現されると、その修行の凄まじさがリアルに伝わってきます。

こうまでして真理を求めた釈迦に対しては、深い畏敬の念を持たざるを得ませんでした。
 
現代の日本は、宗教に入った人に対しては、世間は「弱いから宗教に走ったのだ。」と揶揄したり、「変人」扱いする傾向があるようです。

しかし、この苦行する釈迦像を見て、「釈迦も弱かったから、現実から逃げたのだ。」等と、嘲笑する人はいるでしょうか?
 
本来、王族として贅沢三昧な生活を送れるはずのところ、釈迦は全てを捨てて出家されています。もし釈迦が弱い人間だったら、人も羨む環境を捨てて、真理を求めて命がけの修行をする事など不可能でした。

苦行する釈迦2

もっとも、「釈迦は仏教の開祖だから特別だ。我々のような人間が宗教を求めるのとは訳が違う。」と言う人もいるかもしれません。

確かに、私達と釈迦とでは、月とスッポン以上の違いがあります。しかし、神仏の存在を探求し、真理を追求したいと願う点については、私達も共通しているのではないかと思います。

「求める」というのは、この世で幸福に暮らせるような方法論を模索するのとは違います。

人間の魂には、本来的に、神仏を求める指向性が備わっているのではないかと思います。そして、その指向性が意識の上に上がり、超自然的な存在を求め、それに触れたいという衝動が魂の奥底から沸き上がってきた時、人は真理を求めて宗教の門を叩くのではないでしょうか。

それ故、宗教も、神仏に御利益を願うために存在するものではなく、また、現実逃避したい者に居心地の良い世界を提供するものでもありません。霊的世界の真実を伝えるのが本来の姿だと思われます。

苦行する釈迦3

宗教が嫌いな人の中には、「仏教は哲学だから良い。」と言う人もいらっしゃいます。つまり、宗教っぽくない点で、許容できると言うのでしょう。

しかし、仏教が内容的に哲学であるならば、キリスト教、イスラム教と並ぶ三大宗教に入る事もないはずです。

また、釈迦にしても、苦行は不要との結論に至るまで、死と隣り合わせになって苦行し、最終的には悟りを開いたところ、「人が幸福になるための人生哲学を説いた」等と言われるのは、不本意ではないでしょうか。

釈迦は、キリストと同様、人類史上希に見る大神人です。霊的真実を人々に説こうとしたに違いありません。

私は、科学信仰とも言うべき現在の世の中において、一日も早く多くの人達が目覚め、霊的な真実を求めるようになることを、願ってやみません。

by ドーン

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禁忌・戒律

世界の宗教では、所謂、してはいけない事、決まり事として、禁忌・戒律が有ります。

ある宗教では、豚を食べてはいけない、酒を飲んではいけない、ある宗教では、牛を食べてはいけない、または聖職者は結婚をしてはいけない宗教も有ります。

それぞれに神が言われた事、神が嫌う事、または聖人が言った事、行なった事を守ろうとしていると言えます。

しかしながら、いずれの伝統宗教も創始されてから非常に長い年月が経っていて、現代の社会事情には合わなく成って来ている部分が多々有ると思います。

それらの宗教が創始された当初は、開祖の言葉を信じ、それに従っていれば良かったと言えます。

しかし時代が経つと、頼るべきものが、聖典やそれに準ずる書物しか無くなってしまいます。

そこで頑なに、その聖典を絶対なものとして、ひたすら守ろうとする人が現れます。

それは、時に原理主義と言われたりして、過激な行動を取ってしまう人達も居ます。

しかしながら、大切なのは、千年、二千年前の書物を絶対視するのでは無く、それぞれの宗教の開祖、そして神や仏が、もし現代の実情を見た時、どう思われるのか?

それを、一度、考えてみる必要が有るのでは無いでしょうか?

私達、霊魂学の徒に於いては、様々な修行法を授かり、日々、それを実践していますが、禁忌・戒律といったものは有りません。

もし敢えて言うなら、神霊、そして高級霊魂に対して失礼な事をしない事。他に迷惑を掛けない事。といった普通にしていれば誰にでも守れる事です。

肉を食べても、酒を飲んでも構いませんし、恋愛も結婚も勿論、問題有りません。

テレビもバラエティを見て、大いに笑って息抜きをすれば良いと言えます。

修行(霊的トレーニング)に関しても、必ず、これを、これだけやりなさいとは決められていません。

各自の生活のリズムや状況に合わせて行えば良いと言えます。

残念では有りますが、退会するのも自由です。誰も無理矢理引き止めたりはしません。

但し、退会や入会を繰り返すような行為は、普通に考えて、とても失礼な事であり、それは認められません。

一部の新興宗教では、強引に入会させられたり、退会を暴力的に引き止めたりする所も有るようですが、当会の場合は、そうした事とは全く無縁と言えます。

あまりに自由過ぎて、却って、どう自分を律して、どう道を定めれば良いのか難しい部分は有るかも知れません。

しかし高級な霊魂は、何かを強制したりはしないので、あくまで自分で判断して、最善と思われる行動を取っていくのが、霊魂学徒の姿と言えます。

いつも大切な事は、酒を飲もうと飲むまいと、肉を食べようと食べまいと、妻を持とうと持つまいと、幽体を鍛えるという事に有ると言えます。

太郎

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