富士の風に吹かれて~契山館 静岡分会

霊的な真実を探る旅に出かけよう!

仏教

諸行無常

自宅の部屋に有るドアノブが回らなく成ってしまいました。

ドアノブを外して、確認したところ、どうやらラッチと言われる部品の故障だという事が分かりました。

約10年、住んでいるので、いろいろと壊れるものも出てきます。

自分で直せるレベルなので、取り敢えず、ラッチを外しておいて、改めて、ホームセンターへ部品を買いに行こうと思います。

さて仏教では、諸行無常という言葉が有ります。

世の中、全てのものは、常に変化して不変のものは無いという意味が有るようです。

確かに、どんなに硬いダイヤモンドでも傷が付かない訳では無いし、壊せない訳でも有りません。

無限と思われる、この宇宙も、悠久の未来には消滅するのかも知れません。

また少なくとも、今の科学では、永遠の命も有り得ません。

つまりは、物質ばかりに執着し、それのみを追い求めても、それは、いつかは行き詰まり、虚しいものと成ってしまうでしょう。

また人間は、物質的欲望を満たすだけでは、満足できないように成っているように思います。

何処かで、心の中を空虚感が通り過ぎていく...。

やはり、それは人の本質が物質では無いからと言えるでしょう。

水波霊魂学では、人は、本来、霊的生命体と説きます。

死んだら終わりの単なる肉の塊では無いのです。

確かに、肉体は死ねば、朽ちて土に還るだけと言えます。

大自然の循環を廻るだけの実体の無い存在です。

しかし人は肉体とダブった幽体を持っているのでした。

そして肉体から離れた幽体は、あの世での生活を始めるのです。

とは言え、肉体と幽体は全く別の存在かと言うと、そうでも有りません。

この世の人生にも大きな影響を与えています。

肉体と幽体が不離一体で人生を歩んでいるからと言えます。

幽体が健康か不健康かで、肉体が病気に成る事も有りますし、霊的には、低い霊魂に寄られたり、低い幽気が付着、または吸い込んだりで、この世の人生が悪い循環に入る事も有ります。

悪い事ばかりが、続くという人が居ます。

そうした方は、霊能者を訪ねるよりも、やはり自身の幽体を鍛える事が根本的な解決に至る事に気づいて頂きたいと思います。

また幽体を鍛えるという事は、高級な霊魂よりの高い幽気を、自身の幽体に受ける事に成ります。

自身の幽体は、日常の生活では決して受けた事の無い、高い力に感激し、感涙します。

人の正体は幽体に有り、幽体の真の幸せは高級な霊魂より、高い力を受ける事にこそ有ったと言えます。

それは人の深い部分からの喜びであり、物欲を満たす事のみの上辺だけの幸せとは異なります。

人の心は物質だけでは満たされないのです。

しかし高級な霊魂よりの力は、求めない所には決して降りて来ません。

神を認めず、霊魂を否定する所に、救いの光がもたらされる事は無いのです。

「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」

物質には実体が有りません。物質ばかり追い求めても、常に流れ消え行き虚しいばかりと言えるでしょう。

背後に有る、自身の正体に気づいた時、初めて、この世でもあの世でも、真の幸せに繋がっていくと言えるでしょう。

仏教2
★水波霊魂学 夏イベント開催中!(アンケート / 動画) 7/1~8/31

http://shizuokakeizankan.blog.jp/archives/10308753.html

★水波霊魂学 電子書籍集 (kindle版)

※ この度、水波霊魂学の電子書籍が刊行されました。是非、ご一読ください!

http://shizuokakeizankan.blog.jp/archives/10471322.html

★ブログランキングに参加中。クリック頂けると幸いです。
    ↓

ある修行者の独り言(苦行する釈迦)

苦行する釈迦1
パキスタンのラホール美術館に、有名な「苦行する釈迦像」という仏像があります。上記は私が模倣した下手な絵ですので、興味のある方はインターネットで検索してみてください。 本物は、ガンダーラ美術の最高傑作と言われるだけあって、人を圧倒する迫力があります。

私が初めて「苦行する釈迦像」の写真に出会ったのは、今から17年くらい前、まだ契山館に入会する前でした。一目見るなり、魂が震えるような感動を覚えました。

釈迦が厳しい苦行を行ったことは伝承されているところですが、それが仏像という形で視覚的に表現されると、その修行の凄まじさがリアルに伝わってきます。

こうまでして真理を求めた釈迦に対しては、深い畏敬の念を持たざるを得ませんでした。
 
現代の日本は、宗教に入った人に対しては、世間は「弱いから宗教に走ったのだ。」と揶揄したり、「変人」扱いする傾向があるようです。

しかし、この苦行する釈迦像を見て、「釈迦も弱かったから、現実から逃げたのだ。」等と、嘲笑する人はいるでしょうか?
 
本来、王族として贅沢三昧な生活を送れるはずのところ、釈迦は全てを捨てて出家されています。もし釈迦が弱い人間だったら、人も羨む環境を捨てて、真理を求めて命がけの修行をする事など不可能でした。

苦行する釈迦2

もっとも、「釈迦は仏教の開祖だから特別だ。我々のような人間が宗教を求めるのとは訳が違う。」と言う人もいるかもしれません。

確かに、私達と釈迦とでは、月とスッポン以上の違いがあります。しかし、神仏の存在を探求し、真理を追求したいと願う点については、私達も共通しているのではないかと思います。

「求める」というのは、この世で幸福に暮らせるような方法論を模索するのとは違います。

人間の魂には、本来的に、神仏を求める指向性が備わっているのではないかと思います。そして、その指向性が意識の上に上がり、超自然的な存在を求め、それに触れたいという衝動が魂の奥底から沸き上がってきた時、人は真理を求めて宗教の門を叩くのではないでしょうか。

それ故、宗教も、神仏に御利益を願うために存在するものではなく、また、現実逃避したい者に居心地の良い世界を提供するものでもありません。霊的世界の真実を伝えるのが本来の姿だと思われます。

苦行する釈迦3

宗教が嫌いな人の中には、「仏教は哲学だから良い。」と言う人もいらっしゃいます。つまり、宗教っぽくない点で、許容できると言うのでしょう。

しかし、仏教が内容的に哲学であるならば、キリスト教、イスラム教と並ぶ三大宗教に入る事もないはずです。

また、釈迦にしても、苦行は不要との結論に至るまで、死と隣り合わせになって苦行し、最終的には悟りを開いたところ、「人が幸福になるための人生哲学を説いた」等と言われるのは、不本意ではないでしょうか。

釈迦は、キリストと同様、人類史上希に見る大神人です。霊的真実を人々に説こうとしたに違いありません。

私は、科学信仰とも言うべき現在の世の中において、一日も早く多くの人達が目覚め、霊的な真実を求めるようになることを、願ってやみません。

by ドーン

★水波霊魂学 夏イベント開催中!(アンケート / 動画) 7/1~8/31

http://shizuokakeizankan.blog.jp/archives/10308753.html

★水波霊魂学 電子書籍集 (kindle版)

※ この度、水波霊魂学の電子書籍が刊行されました。是非、ご一読ください!

http://shizuokakeizankan.blog.jp/archives/10471322.html

★ブログランキングに参加中。クリック頂けると幸いです。
    ↓


プロフィール

契山館 静岡分会

このブログの内容は契山館の公式な見解ではありません。書き込み者の自由な書き込みを期待する為に、内容については原則として分会は干渉していません。誹謗中傷など、誤解を受けるような部分がある場合等を除き、書き込みをする人達の見解を掲載しています

霊に関するアンケート

死後の世界や霊の事、皆様はどのようにお考えでしょうか?霊に関して皆様のご意見を、是非、お聞かせください!


最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
メッセージ

名前
メール
本文
水波霊魂学 書籍集(ペーパーバック版)

















































※ Amazonにて販売中!中身の試し読みも可。

ギャラリー
  • ボランティア
  • なぜ、今、契山館なのか
  • 笠雲
  • 危機の実感
  • ある修行者の独り言(「ボーッと生きてんじゃねーよ!」)
  • ある修行者の独り言(「ボーッと生きてんじゃねーよ!」)
QRコード
QRコード
livedoor 天気
  • ライブドアブログ