富士の風に吹かれて~契山館 静岡分会

霊的な真実を探る旅に出かけよう!

文学

俳句ハイク×ミソギ禊

契山館静岡分会のmr.poraiです。

水波霊魂学を信奉し霊的トレーニングを行っている者です。

いまだ未熟な修行者の、個人的な解釈・見解により記していますので、独善や間違いがある場合があります。

その場合の責任はmr.poraiにあります。

さて、mr.poraiはあまりTVを視聴しませんが、芸能人が詠んだ俳句を、辛口の先生がメッタ斬りに批評するTV番組があると言うことを、偶然、知った次第です。

その番組の中で発表した自作の俳句が、後日「類似句」として指摘され、謝罪した人がいるとのことのようです。

それは、毎日、何千何万の俳句が詠まれ、その累積が百年以上も続けば、意図しなくても「類似句」を詠んでしまう場合もありうるだろうと、思った次第です。

そこでmr.poraiは、今は伝説と化した俳人と親交があったという旧友に、この辺の事情について訊ねてみました。

旧友が言うに「たとえばな、時と場所を同じゅうして、実力伯仲の大勢の人が同じ題材で俳句を詠んだとする。そやったら、類句など、何ぼでもできるんちゃう?」

mr.porai「今回のケースは、題材的には真おんなじですが、時と場所を同じくして実力伯仲の大勢の人が詠んだわけではないようです。」

旧友「時と場所が真おんなじとは違うにしても、似たようなシチュエーションは何ぼでもあるやろ。そこで俳句でも詠もという発想する人が一定数居ったとしたらどうなる?」

mr.porai「う~ん、意図せず類句を詠んでしまう可能性はあるように思います。」

旧友「そうなんや。そこに悪意があることは、まずない。そやけど後から発表された俳句は、どうしても類句の謗りを受けてまうんやけど、たとえ1語の違いで句柄の大きさが変わる場合がある。」

mr.porai「??」

旧友「たとえば、かれこれ40年以上も昔、今は他界した2人の俳人が居った。」

旧友「この2人の俳人、時期を同じゅうして『天平の鴟尾燦然と炎天下』『天平の鴟尾燦然と炎天に』という句を詠んだ。これ、1単語しか違わん類句やろ。」

旧友「それでもな、句柄の大きさが違うんや。『炎天下』って、歯切れ良う言い切ることで、炎天下に存在するものの代表として、鴟尾は、さらに燦然と輝いてくる。」

旧友「それが『炎天に』ちゅうと、何か弱いんやなぁ。鴟尾は燦然と輝いとっても、炎天に曝されとるものの一つに過ぎんようになる。」

旧友「まぁ俳句やっとらんアンタにはピンとこんやろけど、類句ちゅうてもさまざまなんや。」

帰宅後、mr.poraiはこのやり取りを振り返って、思うところがありました。

何となく似通っていると思われていても、実は全く違うって言うことは、結構あるんだなと。

水波霊魂学に学び、日々、神伝禊法を実修するmr.poraiに言わせれば、世に言う「禊」と「神伝禊法」とは全く違うと言うことに、改めて思いを致しました。

一般的に禊といえば、一定の作法に従って水に入り、罪や穢れを清める宗教的行為と解されていますが、どうやら水に入る場面がクローズアップされすぎているような気がします。

ちなみに俳句では夏の季語とされていることから、夏場に水に入る行事と思われてきたようです。

政治用語として使用する「ミソギ」は論外にしても、なかには、精神鍛錬の意味合いをもって、あえて寒中の水に入る禊もあるようです。

書家・王羲之の「蘭亭序」には、東晋の永和9年(353年)3月3日、禊(みそぎ)祓(はら)いの行事を行ったあと、流觴曲水の宴を張り詩を作って遊んだという記述があります。

王羲之が行ったとされる禊は、今の禊とは趣を異にするのかも知れませんが、この3月3日が旧暦だとしても、季節は夏ではないでしょう。

日本の風土的には夏の季語とされているものの、直接的に季節とは関係のない禊‥、ひょっとして、水に入る以外の作法がある「禊」があるのかも知れません。

いや、実際にそれはあります。しかもそれは神伝の法なのです。

ここのところの事情に詳しいのは「契山館」です。いちど検索してみるのも一興かもしれません。

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ことわざ

化け物と義弘は見たことがない(ばけものとよしひろはみたことがない)

意味は、『世間では「あるある」といわれながら、化け物と義弘の銘が入った刀は見た者がいないことから、実在があやふやなもののたとえ』

契山館静岡分会のmr.poraiです。水波霊魂学を信奉し霊的トレーニングを行っている者です。

いまだ未熟な修行者の、個人的な解釈・見解により記していますので、独善や間違いがある場合があります。その場合の責任はmr.poraiにあります。

さて、義弘とは、鎌倉末期の刀匠で正宗の門人です。

実際に「義弘」の刀が存在するかどうかは、寡聞にして存じませんし、見たという人も知りません。もちろん「化け物」も肉眼では見たことがありません。

では、「化け物」が実在しないのかといえば、必ずしもそうとは限らないようです。肉眼はあくまでも物質を見るための器官です。ですので、眼に見えるとは限らない「化け物」とは、物質ではなさそうです。

幽質を視覚出来るのは、あくまでも「幽体の眼」なのです。幽体の視覚が肉体の脳に知覚されることも、普通は起こらないからこそ「化け物は見たことがない」。

ところが、「幽体」の眼が「化け物」を見て、その視覚が、何の拍子にか肉体の脳に知覚されたとしたら『化け物を見た』ということになりはしないだろうか?

ここのところの事情は、いちど検索してみるのも一興かもしれません。

『千と千尋の幽界潭』
http://reikongaku.seesaa.net/article/459498108.html
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